第12章 廃棄物から大スターに変身したマグロ

廃棄物から大スターに変身したマグロ

 

輸出国から輸入国への大転換

今でこそ日本は世界最大のマグロ輸入国だが、1940年代から1960年代までは、日本は輸出国だった。そのマグロとは缶詰と冷凍品で、冷凍マグロもアメリカの缶詰メーカーに缶詰の原料として売られていた。

 

73年のこと、兼松江商(現在は兼松)のニューヨーク支社で食品を担当していた私は、東京本社から次のような指令を受け取った。

「米国の東海岸から刺身用のマグロを輸入することになった。取引先のマグロの専門家K氏が現地で買付けるから、貴員はニューヨークから羽田への空輸を手配して頂きたい。K氏は往路NYへ寄るから、プロジェクトの詳細については同氏に聞くように」

「えっ、マグロを日本が輸入?」と私はびっくり仰天した。マグロと言えば日本の輸出商品であるという先入観念があったし、日本産マグロ缶詰を売ることが私の主要業務だったこともある。

間もなくニューヨークにやってきたK氏から聞いたマグロ輸入プロジェクトとは、次のようであった。

 

北米の東海岸では、スポーツフィッシングの愛好家たちが大型の本マグロを獲り、帰港すると魚と並んで記念撮影し、そのあと廃棄している。そこに日本航空が着目した。羽田からニューヨークに運ぶ貨物はカメラ、電子機器、眼鏡レンズなどいくらでもあるが、帰りの貨物がない。そこで、生のマグロを氷詰めにして日本に輸出することを思いついた。マグロの長距離輸送を何度も実験し、棺桶のような箱に入れて氷詰めにする方式を開発した。

一方、日本では高度成長を経て生活水準が上がり、マグロの需要が急増した。タダ同然で入手したマグロは包装費、輸送費をかけても十分採算がとれる。マグロが羽田に到着すると、すぐさま築地に運んでセリにかける。良質のマグロを入手し、その輸送が支障なく行われれば儲かること間違いない。

さらに、71年に起きたニクソンショックで、アメリカは金本位制から離脱し、円は360円の固定レートからフロート制になり、1ドル300円程度になっているから、輸入が以前よりも有利になったという追い風もある。

 

このプロジェクトで日本航空が最初に提携した商社は、今は消滅した食品専門の東食で、兼松江商は後発だった。

日本から派遣されたK氏は築地の魚介類問屋の社員で、なぜか英語が堪能。しかも、マグロの水揚げ後に必要となる鮮度維持のための血抜き作業もできるという能力の持ち主である。

私の役割はといえば、ニューヨークの世界貿易センター(01年にテロで崩壊)の事務所でK氏からの電話連絡を待ち受け、トラックに積んだマグロがニューヨークのケネディー空港に到着すると、それを羽田行きの貨物便に乗せる手配をするだけだから、ほんの端役である。

このプロジェクトは大成功を収めたが、K氏が家庭の事情で長期出張ができなくなり、兼松江商は1年で撤退し、私はお役ご免となった。しかし、マグロの空輸ビジネスそのものは年々盛んになり、新規参入者が増えて競争が激化し、中心地のボストンの北にある漁港グロスターでは、バイヤーたちは漁港で釣り船が戻るのを待たず、沖合に出て釣り船から直接マグロを買い付けるほどになった。

 

この時、日本に空輸されたマグロは前述のように本マグロであり、日本が輸出していた冷凍マグロはビンチョウとメバチ、キハダだった。しかし、間もなく日本は本マグロ以外のマグロも輸入するようになった。ニクソンショックを境に、日本はマグロ輸出国から輸入国へと変貌したのである。私が担当していたマグロの缶詰も競争力を失い、台湾・タイなどに仕入れ先を変えるに至った。

 

マグロ流通システムの確立

本マグロの空輸が始まった当時、ニューヨークやロサンゼルスにはメニューに寿司がある日本食レストランがいくつかあったが、マグロなどの寿司ネタは日本食専門商社が日本から航空貨物で輸入していた。まだ寿司ブームが始まる前のことである。

生の本マグロが日本向けに空輸されるようになったことを知ったニューヨークの日本食レストランは、そのマグロを現地で仕入れようとしたが、それは不可能だった。商社が買い付ける日本向けのマグロは品不足で、アメリカ国内に売る量的余力はなかった。それに、アメリカには日系の魚介類問屋がまだ育っていなかったから流通網がなかったし、かりに日本食レストランが流通業者抜きに200キロもあるマグロを仕入れても、自分の店で(または仲間との共同仕入れでも)使い切ることはできなかった。

日本食レストランはマグロが頭上を越えて日本に飛んでいくのを、指をくわえて見ているほかなかったのである。

 

しかし、寿司ブームが始まって状況が変化した。日本食レストラン向けに寿司ネタを売るビジネスが採算に合うようになったのである。その先導役を務めたのは、宗教団体の統一教会である。

文鮮明が率いる統一教会は、70年代半ばにニューヨークに本拠を構えた。そして、78年にグロスターに支店を設けて、マグロの対日輸出に参入した。現場で活躍したのは韓国人ばかりでなく、日本人の若者もかなりいたらしい(後述)。当時はビザの規制が緩やかだったので、アメリカンドリームを夢見る日本人の若者がたくさん流浪していたのである。

 

教団はマグロの対日輸出を続けながら、トルーワーという魚問屋をニューヨークに設立し、マグロなどあらゆる寿司ネタをアメリカ国内の日本食レストランに販売する事業を始めた。同社はその後ロサンゼルス、シカゴはじめ全米の各都市に支店を設立し、日本食業界を支える最大の魚問屋に発展を遂げた。上に述べた「日本人の若者」の話は、97年にトルーワールド社のロサンゼルス支店長にインタビューした時に聞いた話である。

同社は日本食レストラン経営にも乗り出し、現在全米に系列店が40店ほどある。

トルーワールド社とほとんど時を同じくして、日系の魚問屋も登場した。ニューヨークでは日本食レストランの経営者だった山梨金吾氏が転身したヤマシーフード社、ロサンゼルスでは日本資本のインターショナル・マリンプロダクツ社 (通称インターマリン) など。

 

時が前後するが、マグロの対日空輸ビジネスの規模が拡大した結果、統一教会など米系(日系ではないという意味)の輸出業者が誕生した。彼らはマグロの鮮度を維持する技術を日本人から伝授され、日本人不在の供給システムが形成された。その技術はフロリダ州やテキサス州など各地に伝播し、それ以前はマグロに見向きもしなかった漁師たちが各地でマグロを目当てに出漁するようになって、マグロの供給量が飛躍的に増加した。

それまでは魚介類は加熱して食べるものという観念があったから、消費者のみならず漁業界も鮮度維持に対する関心が薄かった。しかし、マグロの鮮度維持のノウハウを学んで、鮮度がよければマグロは高く売れることに気付いた。そして、マグロだけでなくどんな魚でも、鮮度がよければは加熱しても一層美味しいことを知った。これは鮮度革命とも言える画期的なことであった。

 

80年代後半には、マグロを扱う魚問屋は冷凍マグロを貯蔵する超低温倉庫*を所有するようになった。

90年代には、マグロの格付け制度ができて、サシミグレード、No.1グレード、No.2グレードという等級が設けられた。

こうしてマグロ供給のインフラストラクチュアが整った。

 

ここで北米東海岸におけるマグロの対日輸出のその後の状況について述べておこう。

ビジネスはその後も順調に伸びたが、80年代終わりごろになるとプレーヤーの数が増え過ぎて利幅が薄くなったらしい。9110月に前出のヤマシーフード社の山梨社長は「数年前までは約40隻の漁船と契約していましたが、今では5隻に絞っています」と語っている(「フード業界情報USA」紙9111月号)。

そして、85年に始まった円高は、マグロ輸出業者に巨大な利益をもたらした。円高になってもマグロは品薄で売り手市場だったから、築地市場の卸価格は下がらず、現地のマグロ業者は円高差益をそっくり手中にした。グロスターなどのマグロ漁港周辺にはマグロ御殿と呼ばれる大邸宅群が出現した。統一教会も例外ではなく、当時蓄積した富がその後の事業拡大の財源となった。

90年代後半になると、北米東北部では乱獲によって漁獲量が減少し、日本の不景気もあって業界は見る影もなくなった。しかし、マグロのグローバルな市場規模は養殖技術の進歩により、21世紀になっても拡大を続けている。

 

  

* 一般の冷凍倉庫の温度はマイナス20度C前後だが、60年代に日本でマグロの品質劣化を防ぐために開発された超低温倉庫はマイナス55度Cで、その後マイナス70度Cまでになった。日本の遠洋航海のマグロ漁船は船内に超低温冷凍設備を持ち、釣ったマグロの血抜き・臓物除去を行ったのち、ただちに超低温で冷凍し、そのまま日本に持ち帰る。

 

マグロの値段

マグロの値段は種類によって異なる。基本的には本マグロ(bluefin)とインドマグロ

(southern bluefin)がもっとも高く、次がメバチ(big eye) で一番安いのはキハダ(yellowfin)である。キハダにはトロがない上に、メバチの赤身と比べても風味にコクがなく、ねっとりとした食感がない。しかし、値段が安いから、回転寿司など大衆的寿司店ではキハダを主に使用する。

 

近海物の(つまり冷凍ではない)本マグロの築地市場における相場は、平均してキロ4千円程度。このマグロを握り寿司にすると、赤身で1カン400-500円前後、大トロで1カン1,700-1,900円ぐらいになる(実際には、寿司店は大トロの利幅を抑えてもっと安くする。言い換えると大トロはあまり儲からない)。

 

マグロの国際相場は築地で決まり、世界共通だからアメリカの寿司店は日本の寿司店と同じ価格水準で仕入れなくてはならない。寿司ブームとはいっても、アメリカには1カンに15ドル以上も払ってくれる上客を常連に持つ店はごく少なく、一般的には日本の回転寿司店と同じレベルの価格と品質のマグロを使う。

つまり、アメリカは日本ほどいいマグロに高い値段を払えない(欧州でも同様)。最上級のマグロは日本が買ってしまうから、アメリカの魚問屋は入手できないのである。

 

どうしてもアメリカの高級寿司店が、日本の高級店並みの品質のネタを仕入れたければ、築地から直送してもらうしかない。ニューヨークの、ロサンゼルスのウラサワといった超高級店で、寿司懐石のコースがそれぞれ350ドル(約3万5千円)、250ドル(約2万5千円)で、一般寿司店のレベルをはるかに超える理由は、マグロに限らずほとんどの生魚のネタを築地から直送しているからである。築地直送のマグロにはアメリカから輸入されたものも含まれているはずで往復の運賃がムダになるが、これはやむをえないのである。

 

ごく僅かな例外を除いて、アメリカの寿司店は低価格志向である。寿司店が増えすぎて、競争が激しいこともあって、できるだけ安い食材を仕入れようとする。「そんなことは当たり前で、日本でも同じだろう」と言われそうだが、経営者がノンジャパニーズだと品質にこだわりがない。なんでもいいから、安い方がいいと考える。

そのニーズを掘り起こしたのが、一酸化炭素で燻蒸したマグロである。

 

燻蒸マグロの登場

マグロは冷蔵庫に保管しても、超低温(マイナス55-70度C)でないかぎり、時間の経過とともにどす黒く変色する。80年代の終わりごろ、日本でこの変色を防ぐ方法が考案された。マグロの切り身を機密性がある袋に入れ、一酸化炭素(CO)を充填すると、長時間にわたり鮮紅色に保たれる(以下、燻蒸マグロ)。CO中毒で死亡した人の皮膚が赤いことにヒントを得たと言われる。なお、COは無味、無臭、無色である。

しかし、飲食店は(もちろん家庭でも)刺身マグロを必要な量だけ仕入れるかぎり、変色するほど古くなることはない。冷凍品ならば、変色が起きない超低温倉庫に保管すればいい。したがって、燻蒸マグロは業界にとってなんの益もない技術だった。しかも、マグロが古くなっても判別できないという問題があり、当時の厚生省は燻蒸マグロの商業化を禁止した(94年)。

 

しかし、フィリピンやインドネシアなどの東南アジア諸国では事情が違った。小型漁船で漁獲するキハダマグロは低賃金により漁獲コストが低く、国際相場よりはるかに原価が安かった。しかし、超低温倉庫がなく、通常の冷凍温度(マイナス20度C)の倉庫しかなかった。そこで日本で開発された燻蒸技術に飛びついた。燻蒸マグロならば通常の冷凍温度でも変色しない。

まず、日本向けに輸出が開始されたが、97年にフィリピン産の冷凍燻蒸マグロが輸入検査で摘発され廃棄処分となり、マスコミの注目を浴びた(読売新聞97年5月23日社説)。マスコミは衛生面での懸念で批判したが、私は燻蒸マグロが相場より安かったから、買い付けた輸入業者がいたのだろうと想像する。輸入はそれ以前から行われていたが、検査の網の目を潜っていたらしい。

 

東南アジア諸国は日本で門戸を閉ざされ、矛先をアメリカに向けた。アメリカには燻蒸マグロを規制する法律がなかったのである。98年頃からフィリピン、インドネシア、ベトナムなどから低価格の冷凍燻蒸キハダマグロが輸入されるようになり、一部の日本食レストランで使われるようになった。アメリカの寿司店にとって、値段が安い燻蒸マグロはメリットがある。

 

COは吸い込むと毒性があるが、COで燻蒸した食べものには毒性がない。しかし、イメージが良くないことから、COではない特別なガスで燻蒸処理する方法がハワイで開発された。開発した業者はこのガスをclear smokeと呼ぶが、基本コンセプトはCOと同じなので、この論考ではその特殊なガスで燻蒸したマグロも燻蒸マグロと呼ぶことにする。

 

燻蒸マグロの是非をめぐっては、漁業者と燻蒸業者の間に対立があった。当時、ハワイ産のマグロ(アヒと呼ばれるが、実際にはキハダマグロ)は氷詰めで本土に空輸されていたから、漁業者たちは燻蒸マグロによって生活が脅かされると懸念したのである。しかし、この問題は業界紙が取り上げただけで(Seafood Business99年4月号)、一般メディアは取り上げなかった。

 

燻蒸マグロは00年にFDA(食品医薬局)に認可されて、ハワイ産も東南アジア産も大手を振って本土の日本食業界や一般レストランに販売されるようになった。

日本で認可されなかった燻蒸マグロをなぜFDAが認可したかの理由は不明である。マグロの刺身や切り身が売られていたのは日系スーパーだけで、一般の小売店では売られていなかったから、一般消費者には危険性がないと判断したものと推測する。

燻蒸業者と漁業者の間の対立もいつのまにか立ち消えになった。燻蒸業者は漁業者から原料を仕入れるからだろう。業界誌は二度と記事にしなかったし、一般メディアも業界内の対立についてはもちろん、FDAの認可についても報じなかった。気付かなかったのか、ニュース性がないと判断したのか不明だが、食文化の違いに根本的理由があると思う。

 

大スターのし上がったマグロ

寿司ブームが始まるまでは、生のカキとハマグリ(ニューヨーク周辺)を除き、アメリカ人は魚介類を生で食べることはなかった。それが、握り寿司を食べて初めて新鮮な魚介類の美味しさに気付いた。特に、鮮やかな赤い色をしたマグロは人気の的になった。

とは言っても、生で食べることに抵抗感がある人は多かったから、日本食レストランのシェフたちはいろいろと工夫をこらした。その代表的な料理のひとつが、表面を軽く炙り、内側はレアで赤いままにするステーキである(seared tuna)。生では食べない人も、ステーキと言われれば食べるから、seared tunaは人気がでて、日本食レストランの定番アイテムになった。

 

              

              リンゴ・レストラン(NY)のSeared Peppered Yellowfin Tuna 

 

日本食は一般レストランのシェフたちに注目されているから、日本食レストランで人気のマグロステーキは、シーフード・レストランやトレンディーをウリにするレストランがこぞってメニューに取り入れるようになった。

例をいくつか挙げると、全米に86店あるシーフード・レストランのチェーン店、マッコーミック&シュックスのメニューにはYellowfin Tuna Seared Very Rareがあり、海苔巻きが付け合わせ。

27店舗あるャートハウスには、表面を胡椒でまぶしてから炙ったSeared Peppered Ahi Tunaがある。アヒはハワイ語のマグロで、実際にはキハダマグロ。

ニューヨークの夜景を川向こうのブルックリン側から見るロマンチックな眺望がウリの繁盛店リバーフェでは、ワサビ風味のソースがウリである。

ハワイのサンセ(三世)はガイドブックではジャパニーズに分類されているが、そのメニューはとても日本料理とは呼べないフュージョン料理のオンパレード。自慢の料理Panko Crusted Ahi Sashimi Sushi Rollは、マグロを葉物野菜で巻いて、パン粉づけして揚げたもの。油で揚げたマグロをサシミと呼んでいいのか疑問だが、そんなことはお構いなし。

 

これらの高級レストランが、マグロステーキに燻蒸マグロを使用しているかどうか確認したわけではない。しかし、メニュー価格から判断して、大多数の店が燻蒸マグロを使用していると推定する。さらに、マグロステーキが日本食レストランではない店のメニューに載るようになったのは90年代の後半からで、燻蒸マグロが製造または輸入されるようになった時期と符合する。

だが、アメリカでは燻蒸マグロは法的に問題ないし、これまで衛生上のトラブルが起きたという話も聞いてないから、詮索すること自体無意味だろう。

 

このマグロステーキは日本にも逆輸入され、トレンディーなレストランのメニューに載るようになった。しかし、アメリカと違って燻蒸マグロが入手できないからコストが高く、ステーキの値段が高い(例えば、六本木のユニオンスクエア・トーキョウでは4,400円)。だから、量を少なくして、アペタイザーにするケースが多いようだ。

 

30数年前、廃棄物だったマグロは、今や料理界の大スターにのしあがった。そのトレンドは欧州や中国にも伝播して、世界中でマグロブームが起きている。そして、マグロブームはここまで述べてきたように、日本人が種を播き、育てたものである。

おさらいしてみよう。

●対日空輸ビジネスでアメリカ人がマグロの鮮度に目覚め、その結果マグロ漁業が産業として、勃興した。

●寿司ブームによって、鮮魚の流通インフラ(問屋網と冷凍庫)が形成された。

●日本で燻蒸マグロを開発された。

●日本食レストランがマグロステーキをアメリカ人に食べさせた。

世界のマグロブームは、日本人の努力と工夫の賜物であり、誇りに思っていいことなのである。

 

ちなみに、時々新聞紙上を賑わす国際漁獲制限が実施されているのは、本マグロとインドマグロである(最近はメバチも論議されるようになった)。しかし、キハダの資源は豊富で、今のところ乱獲による資源減少の懸念はない。

本マグロは大トロがとれるし、赤身でもネットリとした舌触りと深みのある赤色はほかのマグロにはないものであるため、高値にもかかわらず供給が既存の需要さえ満たすことができない。そこで、漁獲制限が必要になったが、さらに中国やロシアなどの富裕層に新しい需要が生まれ、一層の漁獲制限が必要になった。

しかし、08年秋に始まった大不況で国際相場は沈静化し、需給はやや緩和した。今後の相場がどうなるか注目されるが、庶民でもちょっと奮発すれば手が届く範囲の値段になることを期待する。

 

 

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