第2章 日本食とはなにかー迷走した農林水産省

日本食とはなにか―迷走した農林水産省

 

手順を間違えた農林水産省

農林水産省が「海外日本食レストラン認証制度」(以下「認証制度」)を実施すると発表したことに対し、アメリカの大手新聞が反発した出来事を記憶しておられる方は多いことだろう。この事件は日本の食文化を考える上で興味深い題材なので、その顛末を検証してみよう。

 

06年11月に発表された「認証制度」の趣旨は、「海外であまりにも本来の日本食とかけ離れた食事を提供する店が増えているので、日本の正しい食文化を知らしめることにより日本食レストランへの信頼度を高める」(農水省のホームページより抜粋)こと。この制度とその背景を説明した当時の農林水産大臣松岡利勝氏の談話に対して、「ワシントンポスト」や「ロサンゼルスタイムス」などのアメリカの有力紙が強烈に反発した。その代表として「ワシントンポスト」の記事(06年11月24日付、筆者訳)の要旨をご紹介する。

 

日本の松岡利勝農林水産大臣がコロラド州を旅行していた時、日本食が食べたくなってある日本食レストランに入った。そこで大臣が見たものは、韓国焼肉と寿司が一緒に掲載されているメニューで、彼の価値観では食における犯罪とでも言える代物だった。「こんな店を日本食レストランと呼ぶのは許せない」と大臣は憤慨した。

日本政府は世界各地で進行している日本料理の非日本化に歯止めをかけるため、正統派日本食を提供する店に認証マークを与える制度を設けると発表した。これに対し、当地の評論家たちは「海外で料理の純粋性を求める態度は、日本のナショナリズムの復活を物語る」と批判している。

さぁ、カリフォルニア・ロールを生んだアメリカよ、ご用心! 寿司ポリスがやってくるぞ!

まがいものの日本食が横行している現状を松岡大臣は嘆く。「日本料理は磨き抜かれた芸術です。高度に訓練された調理師が本物の食材を駆使して調理し、美しく盛り付けるものが日本料理です。ところがわれわれが海外で目にするものは、日本食といいつつも実際には韓国や中国、フィリッピンの料理です」

…アメリカの評論家たちは概してこの認証制度に批判的だ。かれらは「日本こそ外国の料理を上手に取り入れてきたではないか」と主張する。例えば、日本が伝統料理と誇るテンプラにしても、元はと言えば16世紀にポルトガル人の宣教師が伝えた料理が原型だ(以下省略)。

 

一般論として、いかなる国であれ自国の文化が他国に正しく伝わってほしいと願うのは当然であり、そのための施策を講じることはその国の自由な裁量である。したがって、農水省が発表した「認証制度」そのものをアメリカのマスコミが批判するのは筋違いである。

しかしながら、その発表の際に松岡大臣が伝統的日本料理とはかけ離れた日本食を「まがいもの」と批判し、その「まがいもの」とはアメリカ化した日本食を意味すると解せられたから、アメリカ人はプライドを傷つけられた。

アメリカ化した日本食はアメリカ人の好みに合わせて自然発生的に生まれたものであり、すでにアメリカの食文化の一部になっている。アメリカ人から見れば、アメリカ化した日本食は「まがいもの」ではなく、新しく生まれたアメリカ独自の食文化である。つまり、松岡氏はアメリカの食文化を批判したことになる。

アメリカ化した日本食の歴史はたかだか30年に過ぎないが、年月の長さは問題の本質ではない。だから、「ワシントンポスト」はテンプラの起源はポルトガルにありという歴史論まで持ち出した。アメリカのカリフォルニア・ロールは日本のテンプラのようなもの、というわけだ。「寿司ポリスがやってくるぞ!」というコメントには毒があり、ユーモアを装いつつも心中の怒りが窺われる。

「まがいもの」とは、ワシントンポスト紙の記事に使われた単語phonyの訳語。松岡氏の補足談話は日本の大手新聞が報じなかったため、phonyに該当する原文の日本語は不明である。

 

アメリカの日本食レストラン業界には、この「認証制度」に対し賛否両論があったが、反対論の方が圧倒的に多かった。日本人を主たる客層とする日本人経営の店では賛成の意見もあったが、大多数を占めるアメリカ人を主たる客層とする店では「日本政府がやることは当店には無関係です」か、または「店の良しあしを決めるのはお客さんです」などのネガティブな意見が大半だった。その理由は、彼らは自分たちが批判されたと感じて反感を抱いたからである。

 

アメリカで発行されている日本人向け生活情報誌U.S. Frontline07年1月号に掲載された「日本食認証制度の問題点」と題した私の論文の一部を引用する。

・・・この計画は実行が難しい。まず何をもって「正しい日本食」と認めるのかの基準設定が困難である。・・・百歩譲って、なんらかの形で実行に移したとして、日本食レストラン業界はどのように受け止めるだろうか。・・・日本食レストランにこの制度の可否を問うたら、積極的賛成は1割程度(すなわち日本人経営の店の過半数)ではないか。残りの9割は不賛成か、「当店は関係ないので、賛成でも不賛成でもありません」という回答になるに違いない。・・・農水省は「認証」までは踏み込まず、「正しい日本食」のPRを適切に行うにとどめるべきだと考える。

 

第1章で述べたように、アメリカの寿司の主流は江戸前寿司ではなくアメリカン・ロールであるから、アメリカン・ロールを「認証」の対象からはずしたら、「認証」される店はごく僅かになってしまう。私は、本来の江戸前寿司がどんなものなのかを知らせることは必要だが、その手段としては「認証制度」は適切ではないと考えたのである。

 

ここで「日本食」という概念を明確にしておきたい。「日本料理」とは伝統的日本料理だけを意味し、「日本食」は伝統的日本料理だけでなく、カツドンやラーメン、カレーライス、オムライスなどの外国の料理を日本的にデフォルメした料理も含む幅広い概念だと考えられる。「日本食」という表現はあっても、フランス食とかイタリー食、中国食とは言わないことからも、「日本食」は日本人の間にのみ通用する概念―非伝統的料理も含むという暗黙の了解―と言えよう。

さらに、「日本食」という表現は日本国内で使われることは稀であり、海外用の特殊用語である。その理由は、海外のJapanese restaurant は本来の日本料理だけを提供しているわけではないからで、それを「日本料理店(またはレストラン)」と呼ぶのはそぐわないからであろう。

 

さて、農水省は「認証制度」の発表と同時に「海外日本食レストラン認証有識者会議」(「有識者会議」)を設置した。そのメンバーは、国際交流基金理事長(元駐仏、駐韓大使)を座長とし、フランス料理研究家、ぐるなび(ネット上のレストランガイド)社長、JTB社長、人材派遣企業社長、料亭の経営者、元ホテル料理長、外食企業団体の会長、学者など多士済々。異色は山形の温泉旅館の若女将藤ジニー氏(アメリカ出身)。「有識者会議」は3回開かれ、07年3月に提言がまとめられた。

 

「有識者会議」の議事録によれば、どういう店を推奨の対象にするかが議論の焦点となった。すなわち、日本食の定義である。そしてその結論は「日本食は多様であるため、現地の実情を考慮し、対象となるレストランを『伝統的』と『フュージョン』に区分して推奨する場合も考えられる」である。

フュージョンとは自国の料理(この場合は日本料理)に他国の技法・食材を加味して作る料理のことであり、カリフォルニア・ロールを始めとするアメリカ・オリジナルの巻物も含めると解せられる。極言すれば、「なんでもあり」である。

不思議なことに、現地の実情を考慮すれば「認証制度」はやるべきではない、という意見もあってよさそうなものだが、松岡氏に遠慮したのか、そのような意見が「有識者会議」で述べられた形跡はない。

ともかく、前年11月の松岡氏の発言には伝統的日本食以外は「まがいもの」と決めつける印象があったから、「有識者会議」は松岡氏の考え方を大幅に修正したことになる。

それならばアメリカの有力紙の反発は起きることはなかった。結果論だが、松岡氏の思いつきの段階で、「認証制度」を発表してしまったことはあまりにも拙速だった。農水省は手順を間違えたのである。

「認証制度」発表後間もなく、農水省は制度の名称を「認証」(certification)から「推奨」(recommendation) に変えた。農水省は「認証」には行政的な印象があるためと説明したが、アメリカの有力紙の反発に影響されたことは明らかである。「お上意識」を振りかざしたことを反省したことは評価できるが、思慮が浅かったと批判されてもやむをえないだろう。

 

日本食は変化する

農水省は07年7月にNPO団体「日本食レストラン海外普及機構(略称JRO)」を設立し、日本食レストランの推奨基準を定めるとともに推奨マークを策定した。その推奨基準には、提言通りフュージョン料理も含めると明記してある。すなわち、アメリカン・ロール主体の店も対象となるわけで、アメリカン・ロールは「日本食」であると日本政府に公式認定されたことになる。

 

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推奨マーク

 

  そして、推奨マークの交付を受けたい店だけが審査の対象となり、審査の実務は現地組織に委ねることになった。

推奨の要件はといえば、「コメ・日本酒・調味料など日本食を特徴づける日本由来の食材や飲料を使用していること」、「日本食に特徴的な調理技術や衛生管理の知識が備わっていること」などであり、日本食レストランとしてごく当たり前のことを規定しているにすぎない。

つまり、推奨マークは「当店はJapanese Restaurantです」ということを示すだけにすぎない。資格要件が緩やかだから、ごく普通の日本食レストランなら、みな推奨される可能性が高い。それでも構わないが、推奨マークを申請しない店も多いだろうから、同じようなレベルの店でも、推奨マークがある店とない店が存在することになり、消費者は戸惑うだろう。そんな毒にも薬にもならない推奨マークでも、いざ実行するとなると莫大な費用がかかる。その理由は、一般消費者に推奨マークの意味合いを告知する必要があるからだ。そうかといって推奨マークのPR活動を行わないなら、推奨マークは店と農水省の自己満足にすぎないものになる。それでも「推奨制度」は必要なのか?

 

だれもそんな疑問を感じなかったらしく、「推奨制度」を実行に移すための海外組織が、07年にアムステルダム、上海、台北、およびバンコックに設立された。

しかし、国別店舗数で最多の米国では、支部長の人選が難航したため、ニューヨークでは支部設立を断念、ロサンゼルスでは08年6月になってようやく支部長は決まったものの、「推奨制度」は実施せず、日本食のPR活動に専念することになった。今のところ、米国ではロサンゼルス以外の都市で支部が結成される動きはない*。

 

ロサンゼルス支部がなぜ「推奨制度」を行わないのかは発表されていないが、同支部が「推奨」を拒否したものと推測する。上に述べたような疑問は現地の業界を知っている人ならだれしも抱くことであり、さらに「推奨」の審査には責任が伴うことを懸念したのだろう。

 

一方、日本食のPR活動については、経済産業省の管轄であるJETRO(日本貿易振興機構)が日本食を普及させる目的の組織を07年3月にロサンゼルスに結成し活動しているから農水省と事業が重複することになる。JETROJROのどちらかに一本化したらいいのにと思うが、縦割り行政ではそうもいかないのだろう。

 

話が後先になるが、JROは08年3月下旬、二日間にわたり、東京のホテルニューオータニにおいて「日本食レストラン国際フォーラム」を開催した。このイベントには、米国、英国、タイなどの海外における日本食レストラン業界の関係者が約30名(旅費・宿泊費はJROの負担)招待され、世界各地の日本食レストラン業界の動向の報告と、今後の展望に関するパネル・ディスカッションが行なわれた。列席者は二日間で延べ約2千人で、ほとんどが日本の食品メーカー、輸出業者と報道関係者だった。席上JRO幹部は「これが本年度事業の総仕上げ」と胸を張ったが、日本のメディアはこのイベントをまったく報道しなかった。

私にはこのイベント開催に違和感があった。それは、多額の費用をかけてまで日本政府が海外における日本食レストラン業界の情報を国内向けに発信する必要性があるのか、情報の発信先は海外ではないか、ということ。席上発表された事柄にしても、すでに各メディアによってことあるごとに報道されており、メディアは今さら取り上げる価値なしと判断したのだと思う。

 

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                              日本食レストラン国際フォーラムの会場

 

では、類似の制度を日本で実施したイタリーとタイの場合はどうなっているのか。

(1)イタリーの場合

02年秋にイタリー政府は日本で本格的イタリー料理を提供する店を認定する制度を発表した。認定基準のもっとも重要な要件は、イタリー産の食材を多く使うことと料理長がイタリー料理の適切な訓練を受けていること。当時の日本のマスコミはこの発表を小さな記事で淡々と報道したが、私には記事執筆者がこの発表に好感を持たなかったような印象を受けた。

なお、この制度によって東京青山の「サバティーニ」など十数店が認定されたが、最近は「休眠状態」(イタリア貿易振興会)になっている。なぜ立ち消えになったかの説明は得られなかった。

(2)タイの場合

タイ政府商務省は日本全国でタイレストラン認定制度を実施している。店が認定を申請し、認定されればタイセレクトと記載した認定ラベルが与えられる。08年8月現在、全国で57店が認定されている(www.thaiembassy.jp/)。この制度の問題点は、一般消費者がタイセレクトの認定制度を知らないこと。それならば認定制度は無意味ということになるが、それはタイ側の問題だから論評しない。

アメリカにおける日本食と日本におけるタイ料理を比較すると、大きな差がある。それはタイ料理のイメージがかなり明確で、日本的デフォルメが起きていないこと。したがって、タイ政府の認定制度は「日本食レストラン推奨制度」の参考にはならない。

 

さて、松岡氏の提唱で始まった「認証制度(推奨制度)」は、米国に関するかぎり、はからずも「日本政府は日本食の適切なPRにとどめるべし」という私の主張通りの結末になった。その他の国々でも「推奨制度」は立ち消えになるだろうと予測する。

「認証制度」は松岡氏の思いつきから始まったとはいえ、官僚が松岡氏の権力におもねったのではなく、松岡氏の提案を適切と考えたから推進したのだと思う。

実際に私は07年3月に農水省に赴き、担当官に本来の日本食とは何かをアメリカ人に啓蒙するならもっと適切な案があることを具体案を示しつつ説明したが(具体案の内容は枝葉末節のことなので省略する)、聞き入れられなかった。その後、松岡氏の逝去というアクシデントがあっても、農水省の方針は変わることはなかった。

農水省が思いつきの段階で「認証制度」を発表してしまったことはミステークだが、その後も断念する機会はあった。JROの事業報告によれば、この事業には初年度に2億6千万円が費やされ、その内3千万円が推奨マーク策定とその維持に関するものであったが、断念する勇気があればそのかなりの部分は節約できたことだろう。費用対効果を考えない日本の官僚の悪習が如実に示されたといえよう。

 

さて、農水省の一連の迷走は、端的に言って「日本食」とはなにかという定義がはっきりしないためにおきた騒動である。人それぞれ見解の相違はあろうが、私は「日本食」は時代とともに変化するものであるから、定義することは困難であるし、定義する必要もないと考える。それでも、なんとなくわれわれの頭の中には、漠然と「日本食」は存在する。それでいいのではなかろうか。

江戸前寿司にしても、その歴史はたかだか百五十年。その年月の間に内容はかなり変化してきた。今でこそ特上握り寿司の定番になったウニやイクラの軍艦巻も戦前には存在しなかったらしい。

問題となったアメリカン・ロールは日本の寿司業界から見れば鬼っ子のようなもの。親方のもとで5年、10年修業してようやく一人前と認められる世界の人々には邪道に映るに違いない。しかし、それがアメリカそして世界の寿司の主流となっては、邪道だとばかり言っていられない。さらに、アメリカン・ロールは日本にも逆輸入され、進歩的な寿司店のメニューに登場するようになった。東京麻布には、「レインボーロール・スシ」(www.wdi.co.jp/) という店名のアメリカン・ロール専門店があるし、小泉前首相がブッシュ大統領を招待して有名になった「権八」(www.gonpachi.jp/) のメニューにもアメリカン・ロールがある。回転寿司にもカリフォルニア・ロールを見受ける。あと4~5年もすれば、アメリカン・ロールは江戸前寿司の定番として認知されるかも知れぬ。

「日本食」は今後も変化を続けるに違いない。

 

*(注)JROはニューヨーク支部設立をいったん断念したが、その後ロサンゼルスで「推奨制度」を実施しないことになったことを受けて、ニューヨークでも「推奨制度」なしで実施するように方針を変更して、支部が設立された。

 

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